■城(カフカ)
■人間の土地(サン=テグジュペリ)
■ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー(ブレイディみかこ)
■アロハで猟師、はじめました(近藤康太郎)
■もの思う葦(太宰治)
■ほぼ日刊イトイ新聞の本(糸井重里)
■アイヌの世界に生きる(茅辺かのう)
いまは「アロハで猟師、はじめました」
を読んでいます。
狩猟のこと、命のこと。
■城(カフカ)
■人間の土地(サン=テグジュペリ)
■ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー(ブレイディみかこ)
■アロハで猟師、はじめました(近藤康太郎)
■もの思う葦(太宰治)
■ほぼ日刊イトイ新聞の本(糸井重里)
■アイヌの世界に生きる(茅辺かのう)
いまは「アロハで猟師、はじめました」
を読んでいます。
狩猟のこと、命のこと。
ここ数か月まともに休みもとれず
仕事仕事の毎日を送っていますが
そんな中でも読書を怠らない
ストイックな自分にシビれます。
最近読んだ本たち。
・雨の日はソファで散歩(種村孝弘)
・千年の読書(三砂慶明)
・ディキンソン詩集(亀井俊介編)
・夜間飛行(サン=テグジュペリ)
・昔日の客(関口良雄)
・これは水です(D.F.ウォレス)
・四角形の歴史(赤瀬川原平)
・歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を生きる術(トマス・エスペダル)
・空が青いから白をえらんだのです(寮美千子編)
・本屋で待つ(佐藤友則)
・アメリカンスクール(小島信夫)
・ブーヴィエの世界(ニコラ・ブーヴィエ)
読んでいる最中に「これは」と興奮して
一度パタンと本を閉じてから余韻に浸る。
そんな自分のための本に出会う確率は
鳥のウンチが頭に落ちるぐらい低いです。
ちなみに子供を幼稚園に送る道すがら
妻の頭上にトリウンが落ちてきたそうです。
運よく傘をさしていたからよかったけど
ズドンとかなりの衝撃だったようです。
「夜間飛行」(サン=テグジュペリ)は
ぼくにとってのトリウンでした。
それもかなり大きな鷲のそれぐらい
ズドンとかなりの衝撃を受けました。
草原の上を飛行する場面や
暴風雨の中をくぐりぬける場面で
宮崎駿アニメの飛行シーンが
頭の中にぱっと浮かびましたが
駿さんもこの小説からかなり
影響を受けているみたいです。
草稿は400ページあったのを
181ページに切り詰めているせいか
どのシーンもダラダラしてなくて
淀川長治さんが初期北野映画を評して語った
「さっと出してさっとやる感覚、贅沢さ」
そんな感じです。
最近はさらっと読めるエッセイ集を
手にとることが多かったけど、
やっぱり文学は良いな。
すなわち人間の幸福は、自由の中に存在するのではなく、義務の甘受の中に存在するのだ。
最近良い本に巡り合っていて
中でも『詩とは何か』が
特大ホームランでした。
詩人の吉増剛三さんが
いろんな詩人について
いろんな詩について
紹介して、語ってくれる、贅沢な本。
お値段たったの1,100円。
本ほどコストパフォーマンス
(という言葉はあまり好きじゃないけど)
がいいものは他にあり得ません。
おまえは詩が好きなんか?と言われると
好きなのかどうかよくわからないし
おまえに詩がわかるんか?と言われると
ほとんどわかってないけど
逆に「詩がわかる」なんて嘘くさいやろ。
吉増剛三さんが最も大切にしている詩人が
エミリー・ディキンソンという人で
大抵の人は知ってるんでしょうけど
ぼくは映画「パターソン」の中で
その名前をはじめて知りました。
そのシーンは大好きなシーンで
バスの運転手をしながら
詩を書いているパターソンが
同じく詩を書いている少女と出会い
ほんの数分間、話をするシーンです。
少女が自作の詩を読み上げ
それがとても印象的な詩だったので
パターソンはちょっとびっくりして
複雑な表情を浮かべながら
「良い詩だね」と言います。
別れ際に少女はぱっと振り返って
「エミリー・ディキンソンは好き?」
とパターソンに尋ねます。
「好きな詩人だよ」と答えると
「エミリー・ディキンソンが好きな
バスの運転手さん、クールね」
と言って少女は走り去ります。
良いシーンです。
そのエミリー・ディキンソンのことを
詩人・吉増剛三さんは
最も影響を受けた詩人として
この本の中で紹介しています。
アメリカの片田舎で
ほとんど家から出ずに
詩をだれかに見せることもなく
自分のためだけに詩を書いて
引き出しの奥にしまったまま
孤独のうちに亡くなった
エミリー・ディキンソン。
大江健三郎さんがノーベル文学賞を獲った時、
ミーハーなぼくは「死者の奢り・飼育」の
文庫本を買って読んでみるも、
小僧だった当時のぼくには難しくて、
あの暗いイメージだけが残りました。
それから大人になって
「新しい人の方へ」という本を読んで、
大江さんという人はとても
魅力的な人だなと思いました。
そこにはコラムのようなかたちで、
本はゆっくりと読むものだとか、
ウソをつかない人になるための方法だとか、
大江さんの生き方や考え方が
やさしい文章で書かれていました。
なかなか手を出せずにいた
カラマーゾフの兄弟を「読むぞ!」
と決意させてくれたのも、
この本のおかげです。
先日ツイッターを眺めていると、
大江さんに関するツイートが
流れてきました。
伊集院光さんのラジオに
大江さんが出演した時のことを、
リスナーが記憶を頼りに綴った
ブログ記事が紹介されていて、
それがすごい話だったので
リンクを貼っておきます。
すごい話
ゲームを買ってとねだる小6の長男
その要求を拒む写真家の母
ある日突然、長男が
「ゲームの代わりにニワトリ飼わせて」
と言ってはじまる親子と鶏の物語。
長男の目的は
ニワトリの卵を売って
お小遣いを稼ぐこと。
そして最後は絞めて
食べるところまで計画する。
小6の少年が、すごすぎる。
果たしてその結末は。
親子のこと、生死のこと、お金のこと
人生のぜんぶが詰まっていて
とても面白かった。
時折挟まれる写真も素敵です。
思春期の子供ってこんなに大変で
こんなに眩しいものなのか。
自分の子供にもいずれ
思春期が来るんだよなあ。
(うまく対応できるかな)
ニワトリがはじめて卵を産んだ日
読んでる自分もぽろっと
涙が出そうになりました。
村上春樹さんの本はほとんど
持っているつもりだったけど、
ふらっと立ち寄ったMUJIBOOKSで
目に留まった「日出る国の工場」
そういえば持ってないかも、
いや持ってるかな?ぱらぱらぱら・・・
やっぱり持ってないや、
例によって安西水丸さんの挿絵が付いてます。
ぼくは水丸さんの仕事の中で
「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」
の挿絵がいちばん好きです。
フォルムも線の太さも抜群にいいです。
日出る国の工場の挿絵もなかなか素敵でした。
村上さんによる工場見学記も面白くて、
コムデギャルソンの工場を取材する回は、
これだけでこの本を買った価値がある。
村上さんが川久保玲さんのことを
語っているのもとても興味深く、
あのギャルソンの服を
町の職人さんが自宅の2階で
奥さんと共に縫製している
という事実にはちょっと興奮します。
もちろんそこだけじゃなくて
他にも大小いろいろな工場に発注しているし、
この本が書かれたのは1986年だから、
今はもうそんな素敵な体制では
ないのかもしれないけど。
ちなみにぼくは
コムデギャルソンの服を着たことは
一度もありません。
随分前に買って
自分といっしょに何度か引っ越しも経験して
紙の色も変色したボロボロの文庫本って
良いですよね。
そういう本って不思議と
紙から甘くていい匂いがします。
中古で買った本の匂いは好きじゃないけど
自分で長い時間をかけて
育てた本の匂いは好きです。
村上春樹さんの「螢・納屋を焼く・その他の短編」
を先日ひさしぶりに読みました。
これもかなりボロボロです。
収録されている短篇はぜんぶ良くて
中でも「めくらやなぎと眠る女」が好きです。
仕事をやめたばかりの25歳の主人公が
耳の聞こえづらい従弟の中学生と
いっしょにバスに乗って病院へ行く
たったそれだけの話ですが
バスを待つふたりの会話と
その情景が詩的でとても良い。
ぼくは「パターソン」のように
何も起きない静かな映画が好きで
この短篇はまさに何も起きないスロー小説。
従弟の中学生がいいんだなあ。
しきりに「いま何時?」って聞いたりして。
バスに乗る前、渡された小銭を
大事そうにぎゅっと握る場面
良いんだよ。
自分の子供がいま4歳で
もしかしたら今がいちばん
可愛い時期かなと考えていたら
「中学生の息子がいる人が
今もずっと可愛いって言ってたよ」
と妻から聞いて、なんだそうなのかと
安心したことを思い出しました。
この短篇は村上さんが
34歳の時に書いた初期の作品です。
安西水丸さんが描いた
表紙の絵と題字も良いですね。
ちなみにこの題字
電話で本のタイトルを聞かされた水丸さんが
その場でさっとメモに書いたものだそうです。
その後たくさん清書したけど
メモ書きのこれが一番良かったんだって。
ついに悪霊を読み終えました。
カラマーゾフ以上に読みづらく
上巻はとにかく苦痛でした。
いったい何の話を読まされているのか
よくわからないまま
修行のような気持ちで上巻を読み終え
下巻の中盤あたりで
やっと何かが見えてきて
終盤はただただ圧倒されました。
すべてがわかった後にもう一度読み返すと
あんなに退屈だった上巻もすごく面白い。
すごいぜ悪霊。
ぼくはカラマーゾフよりも
悪霊のほうが好きかもしれない。
ネットで悪霊ファンの声を読み漁ると
だいたいみんな読むたびに面白くなる
と言っています。本当にその通りです。
映画でもそういうのありますね。
初見は??だけど、中毒性の高いやつ。
ブレードランナーとか3-4X10月とか。
シャートフ、キリーロフ、
ステパン先生、ワルワーラ婦人、
登場人物みんなが魅力的で
ドストエフスキーはキャラひとりひとりに
ちゃんと「心」を持たせている気がします。
そのせいで読みづらく
難しいんじゃないかな。
だって人の心が一番わからないから。
写真集「鴉」を見ていくうちに、
写真家の深瀬昌久さんが
どんな人間だったかを知りたくなり、
昨年の12月に出版された
「深瀬昌久伝」を買って読みました。
深瀬さんの助手を長年つとめた瀬戸正人さんが、
当時のことを振り返りながら書いているんですが、
純粋に読み物としてとても面白かったです。
やっぱりというか、写真から感じるとおり、
深瀬さんは非常に変わった人だったみたいですが、
この本の中での深瀬さんは
いつも酔っぱらっているので、
その変人ぶりが本来の性質なのか、
それともアルコールのせいなのか、
それはちょっとわかりません。
日常は写真家仲間たちに囲まれていて、
写真集から感じられるような孤独は
(表向きには)なさそうです。
というか「自身の孤独を写しだした」
なんていう評論はなんか安易で嫌だし、
だいたいみんな孤独でしょ。
とても不思議なのが、
当時の深瀬さんはたいした仕事もなく
いつも共同事務所でごろごろして、
夜はお酒を飲みに行っているんですが、
飲みに行くお金はどうしてたんだろう?
写真だってお金かかるのに、
フィルム代はどうしてたんだろう?
謎です。