幼稚園でタイムカプセルをやるから
未来の子供に手紙を書いてと頼まれた。
妻とぼくから1通ずつ。
7年後の子供に宛てて書いた。
小学6年生の君へ。
先に妻が書いた手紙を
読んでじーんとくる。
伝えたい気持ちは同じだった。
なるべく被らないように書いた。
書きながらウルっときた。
幼稚園でタイムカプセルをやるから
未来の子供に手紙を書いてと頼まれた。
妻とぼくから1通ずつ。
7年後の子供に宛てて書いた。
小学6年生の君へ。
先に妻が書いた手紙を
読んでじーんとくる。
伝えたい気持ちは同じだった。
なるべく被らないように書いた。
書きながらウルっときた。
人間の土地の第5章、よかったなあ。特別なストーリなんて何も無いのに。古い家の様子、家人の様子、食卓の様子、それらがただ描かれているだけなのに。でもそこにはすばらしい文章がある。
作者のサン=テグジュペリさんはもちろん、翻訳者の堀口大學さんも素晴らしいな!ぼくは翻訳なんて出来ないけど、それがいかに難しいかぐらいわかります。特に文学作品の翻訳は。
映画パターソンのラストシーンで、永瀬正敏さん演じる詩人が「詩の翻訳はレインコートを着てシャワーを浴びるようなものだ」と言います。真実かもしれない。でも原文を読むことができないぼくは、堀口大學さんが訳してくれた文章を浴びるしかないわけで、原文を知らないぼくは、レインコート越しではなく、裸に直で浴びているつもりです。
そして「訳す」なんて軽く言いたくないなあ。文学作品の根幹である文体は、堀口大學さんのものなんだから。ぼくが好きな言い回しは「なぜかというに」です。『お世辞もきかなかったはずだ、なぜかというに、彼女たちは、虚栄を知らないのだったから』という具合に。
著作が少ないサン=テグジュペリだから、読み終えるのがもったいなくて第4章で止めていた「人間の土地」の読書を再開しました。読書感想文は本来1冊読み終えてから書くべきだけど、いま、第5章を読み終えたばかりのこの興奮を、いま書き留めておかないと忘れてしまうから。わずか11ページしかない第5章に感動した!(小泉純一郎氏が土俵で叫んだあの感じで再生してください)。不時着したアルゼンチンの村で、古いお屋敷に泊めてもらった晩のエピソードがめちゃくちゃいい。床に穴が開いていることを説明したり言い訳したりしない家人の精神、それを理解して好むサン=テグジュペリの感覚。それを読んでいる令和時代のぼくも、本の中で彼らと静かに繋がった!そういう感覚がありました。人間の土地は宮崎駿さんも好きな本で、それは飛行士が主人公というせいもあるけど、きっとこの第5章のことも駿さんは好きに違いない。確信があります。
銀シャリと和牛の区別がつかないぐらい、M1(お笑い)事情に疎かった我々は、今頃になってアマプラで過去の大会を観ています。そして「今の点数は低すぎるやろ」とか「なんでこの人たちが優勝なんだ」とか、きっと当時のYahooコメントに溢れていたのと同じレベルでわーわー言っている。ミルクボーイを見た子供がコーンフレークを食べてみたいと言うので、スーパーへ買いに行った。シリアルがずらっと並ぶコーナーを見て、子供は今まで猫のごはんだと思っていたらしい。ついでにぼくも食べてみた。たぶん小学生の時以来だから、約38年ぶりのコーンフレーク。味は全く変わっていないように感じた。最後にお皿にすこし残った牛乳は、甘くてなつかしい味だった。
すすで汚れたしまった
石油ストーブの掃除をしたら
手が真っ黒になった。
非日常的に手が汚れると
うわあーとか言いながら
ちょっとうれしい。
クレヨンで絵を
描くのが楽しいのは
手が汚れるから。
映画「さかなのこ」は
笑えてじーんとくる良い映画でした。
良いらしいという評判は
聞いていたけど予告編で
のんさんが「ぎょぎょぎょー」
と言っているのを見て
なんだかなあと思っていました。
すみませんぼくが間違っていました。
のんさんが演じるさかなクン
最高でぎょざいます。
わかりやすさと説明を省いて
こっちに想像させる部分とが
ちょうどよくミックスされていて
変に盛り上げないのも良い。
ちょっとBGMに頼りすぎな
ところは気になったけど。
ぼくが好きなシーンは
アパートに転がり込んできた
シングルマザーの女性が
洗濯物を干すとなりで
子供がひとりクレヨンで
絵を描いているところ。
なんでもないシーンなんですけどね。
幼稚園から帰ってくるなり
今日は椅子取りゲームで
35人中5位だった!と
うれしそうに報告してくれた。
その翌日は35位だった。
幼稚園までの道のりは1.5km。
同じ地区の子供たちと一緒に
引率の先生と歩いて行く。
小学生になったら
ひとりで歩いていくんだろうか?
狭い道をびゅんびゅん飛ばす車もいるし
怖いよねという話をしていると
「よし決めた!おれタクシーで行く」
と子供が言った。
いまぼくは47歳で、やがて50歳になり、55歳になり、60歳になる。その時、仕事の依頼は来るのかな?尊敬する宮崎駿さんのように、いくつになっても自分の手を動かして作り続けたい気持ちはあるけど、世の中は年をとったぼくを必要とするのだろうか?
もし必要とされたとしても、それは経験や頭が必要とされていて、ぼく自身が手を動かすことを求めているわけではないだろう。たぶんそうだろう。それに、今はずっと手を動かし続けていたいと思っていても、実際に年をとったら動かなくなるかもしれないし、もーやってられん!と言って、マウスを壁に叩きつけているかもしれない。それはわからない。
ライター業をやりながら米作りをはじめ、やがて猟師にもなった人が書いた本『アロハで猟師はじめました』で著者が、出版不況で食えなくなったという理由でライター業を辞めていく仲間たちに、疑問を感じる場面がある。今までライターをやっていたのは、文章を書いていたのは、単に食うためだったのか?生き方のハナシではなかったのか?と。そして著者は「生きるために書くのではない、書くために生きるのだ」と宣言する。
自分が60歳になった時どうするのか?どうしたいのか?求められようが求められまいが、何かをつくるために生きることが出来ていたら良いんだけど。まあ、先のことはわからんね。
考えごとをしている時に電話が鳴った。
しかもケータイではなく
固定電話のほうにかかってきた。
めったに鳴らない音にビクッとして
慌てて受話器をとったぼくは
「お電話ありがとうございます
株式会社・・・ハラプロ原田です」
と言ってしまった。
ハラプロは株式会社ではありません。
なのになぜそう言ってしまったのか?
ぼんやり頭で電話をとった結果
ぼくの脳は20年前の制作会社時代に
タイムスリップしてしまったのだ。
(しまった!)と焦っていると
受話器の向こうの人が
「〇〇さんのお宅じゃないんですか?」
と言った。まちがい電話だった。
電話をかけたほうもとったほうも
両方間違えるなんてことがあるんですね。
お客さんじゃなくてよかった。
アジアカップがはじまる。
アジアカップといえば
李忠成選手のスーパーボレーが
印象に残っている。
カタールとの死闘で
めちゃくちゃなラフプレーで
バッタバッタと選手が倒されながら
最後に伊野波選手が叩き込んだ
あのゴールも脳裏に焼き付いています。
ディフェンダーの伊野波選手が
なぜかあのとき最前線にいて
まさかの決勝点を決めたあと
ラフプレーを繰り返してきた
相手への怒りをこめて
ボールを天高く蹴り上げたシーン
かっこよかった。
ぼくも妻もこの家が大好きなのです。時を戻すと、紙に書いたのがはじまりだった。子供がまだ小さい時、はじめての子育てでひーひー言っていた。自分たちの気持ちや時間をほぼ子供のために使っていて、もちろんそれはそれで良いんだけど、自分たちのやりたいこともやれたらもっと良いよねと、お互いやりたいことを紙に書いた。映画を観に行きたい、旅行に行きたい、そんな願望と一緒に「仕事環境を良くしたい」と書いた。妻も賛同してくれた。それからとんとん拍子に事が運んでいった。事務所を借りるより、中古の家を買って理想の仕事部屋をつくるという考えに至り、運よくこの家と出会った。はじめて間取図を見たとき、玄関の横にポコっと突き出た部屋が「どうぞここを仕事部屋にしてください」と言っていた。
今月の3冊。
■老人と海(ヘミングウェイ)
■本の虫二人抄(古田一晴・劉永昇)
■僕の歩き遍路 四国八十八ヶ所巡り(中野周平)
手元にある「悲しき熱帯」が
ぜんぜん進んでないけど
そこは無視して今月も3冊購入。
決めたことは可能な限りやり続ける。
そんな自分にシビれます。
本の中にたった一行でも
自分の心に響く言葉があれば
ぼくはそれだけで
その本を買った意味があると思う。
たった一行のために1500円は高い?
たったひと言で人生が変わることもアルヨ。
風呂上りにドライヤーで
子供の髪を乾かしていると
「お父さんの夢は何?」と聞かれた。
夢?うーん、夢かあ、なんだろう。
30秒ぐらい考えたけど出てこなかった。
出てこないってことは
無いってことですね。
夢のない男。
だから正直にそう答えた。
子供はちょっと不満そうだった。
家族と共に健康に過ごせたら
それで十分なのです。
今年も地に足つけて
ひとつひとつの仕事に
全力で取り組んでいきます。
心に残る仕事が出来ればいいな。
子供の冬休みがはじまった日
遅く起きた子供はパジャマ姿で
仕事部屋にするりと入ってきて
「ふゆやすみイエーイ!」
と言って踊りはじめた。
幼稚園では楽しく過ごしていて
毎朝うれしそうに出かけていくのに
やっぱり休みもうれしいんやね。
ハラプロは12/30から1/4までの間
お正月休みとさせていただきます。
2010年にスタートしたハラプロも
来年は15年目に突入します。
もうそんなに経つのかあ。
どれだけ経験を積んでも
つくることはいつだって難しい。
常に「できるかな?」という
不安との闘いです。
負けそうになって
不安オーラに包まれている時でも
温かく見守ってくれる家族には
本当に感謝をしています。
『作品を完成させて
評価されることより
作るためにもがいた
道程の中にこそ
喜びがあった』
東京ヒゴロで主人公が語るこの台詞は
文字通り命を削って漫画制作に打ち込む
松本大洋さん自身の気持ちだと思うし
僭越ながらぼくも同じように感じています。
今年も一年ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いします。
それでは皆さま、良いお年を!
クリスマスは家族でM1を見ました。
今までちゃんと見たことなかったから
昔の大会も見てみたくなって
アマプラで第1回大会を見たら
今みたいな華やかさは全然なく
アングラなお笑い選手権みたいだった。
子供もすっかりM1に影響されて
昼間から麻雀セットを使って
M1ごっこをしていたらしく
妻から写真が送られてきた。
本棚がある家ってどのくらいの割合なんだろう?ぼくは取材で人の家にお邪魔する機会が結構あるけど、本棚がある家は意外と少ない。
最近は「見せない収納」を採用している家もあるから、もしかしたら見えないところに本が隠されているのかもしれない。もしくはスマホやタブレットの中に、電子書籍として並んでいるのかもしれない。
ぼくは本が好きだから(読むのも好きだし、物質的にも好き)本棚があるとワクワクする。「どんな本を読んでるんだろう?」と見てしまう。読んできた本が、その人の中身をつくっていると言っても過言ではないから。
ぼくの家には本棚がある。仕事部屋とリビングにそれぞれある。仕事部屋のほうには、デザイン書、アート本、写真集、小説などが並んでいる。リビングのほうには、小説、漫画、雑誌、絵本などが並ぶ。どちらも、誰に見られても恥ずかしくない本棚だと思う。
先日、子供が仕事部屋に入ってきて本棚をじーっと見つめたあと「これ全部読んだん?」と聞いてきた。「いや、読んでないのもあるよ」と答えた。いつか読もうと思っている本もあれば、ずっと読まなそうだなと思う本もある。でもそこにあるだけで、自分に何かしらの影響を与えている気がする。