コロナ過ですけど、
ゴッホの絵がすぐ近くに来ているのに
見ないという選択はできません。
ゴッホ展、人が少ない雨の平日、
朝いちばんに行ってきました。
普通は入口から順番に絵を見ていきますよね。
そしてまんべんなく全ての絵を見ますよね。
でも今回のぼくは入場するやいなや、
他の絵には目もくれず、
奥のほうへと一直線に突き進みました。
「種蒔く人」をじっくりと
見たかったからです。
予想通り、絵は奥のほうにありました。
他の来場者はまだ入り口付近にいるので、
この瞬間、ぼくはあのゴッホの種蒔く人と、
まさに二人きりの状態になりました。
おおげさにいうと、
それはちょっと神秘的な体験でした。
やがて他の人がぞろぞろとやってきて、
神秘体験は3分くらいで終わりましたが、
そのあとも他の人の邪魔にならないように
遠くから種まく人をじっと見ていました。
小説「月と六ペンス」で、
ストルーヴという画家が、
美について語るセリフがあります。
種蒔く人を見ながら、
ぼくはそのセリフを思い出していました。
「いいかい、美という、およそ世にも貴いものがだよ、まるで砂浜の石ころみたいに、ほんの通りすがりの誰彼にでも無造作に拾えるように、ころころ転がっているとでも思うのかい? 美というものは、すばらしい、不思議なものなんだ。芸術家が、己の魂の苦しみを通して、世界の混沌の中から創り出すものなんだ」